これまでの企画展

三島通庸と県庁誘致運動 ~地域振興をめぐる人々~

福島県出張所設置運動

2025年01月29

慶応4年(1868)の戊辰戦争時に打ちこわしが発生し治安・秩序が乱れ、会津兵の襲撃により町の約79%を焼失している。明治2年(1869)10月、村の大半が焦土と化した郡山村では、民政安定のために取締所の設置方を請願したが許可にならなかった。さらに、11月、翌年2月、5月、6月と再三にわたって歎願を繰り返している。その後、白河県が設置され、須賀川に支庁が置かれたが郡山には置かれなかった。明治5年旧福島県となり、再び県分局設置を請願したが、これも聞き入れられず、明治6年(1873)、暫く県の役人一人が駐在する

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大久保没後、府県会規則に従った全国一律の県会開設、農商務省の設置や国営安積開墾計画の縮小など殖産興業政策の転換によって、「開明派官僚」と民権派の協同の時代は終わる。その後、白河県が設置され、須賀川に支庁が置かれたが郡山には置かれなかった。明治5年旧福島県となり、再び県分局設置を請願したが、これも聞き入れられず、明治6年(1873)、暫く県の役人一人が駐在することになった。